月別アーカイブ: 2017年6月

ヘルデライト体験談

「ヘルデライト」と波長を合わせてみました。
ヘルデライトは、ロバート・シモンズ氏が、「アセンション7」、「シナジー12」の一つで、
意識を拡大する石として「ブック・オブ・ストーン」(ナチュラル・スピリット刊)に
紹介しています。

ヘルデライトは、面白い石で、言葉にしづらいのですが、手にすると、
身体の内側から反宇宙というか、服を裏返しにしたような、
あべこべの世界が広がっていくのを感じます。

木を見ると、自分自身が木になって、木から見た世界が広がって見えます。

フェナカイトを見ると、広大な宇宙が目の前に広がり、
膨大な情報が頭に入ってくるような感覚がしたかと思うと
みるみる縮小して、自分の中の小宇宙となって戻っていきました。

松ぼっくりを手にして、少し意識を合わせると
松やにの強烈な香り、
内部を流れる樹液の脈動、鼓動、
葉に触れるそよ風、
近くから聞こえる海(湖?)の波の音等
リアルな感覚が迫ってきて、
驚いて、目を開けて、匂いをかいでみても
松ぼっくりは、ただの乾いた松ぼっくりで、何の香りもありません。

湖畔で気持ち良さそうに鳴いているオオヨシキリの声に意識を合わせると
湖の波の音、そよぐ風、美しい景色と一体になっている
鳥の内側の世界が感じられました。

欠点ばかりで全然自信がない「自分」に意識を合わせると、
感受性豊か、愛情を一杯持った、努力家でユニークな一人の人間が
ここにいました。
いいとこ、あるじゃん(笑)

亡くなった母と意識を合わせると、本質はそのままの
ちゃきちゃきの母が、次元を挟んでリアルに存在していました。

神に意識を合わせると
歓喜がありました。

全ては自分であるという感覚。
自分があったところは、空っぽになって、
溶け去り、粒子になり、光になって
自分を取り囲む、壁であり、雨であり、
木々であり、自然と一体になっていきました。

こういった感覚は以前からあったのですが、
より深く、広く、より多くのものごとに簡単に同化し、入っていける感覚があります。

ヘルデライト体験談でした。

内側に意識を向ける

6月に入ってから、いつものやり方を少し変えてみようと思い
意識を内側に向けていくと、
色んな体験をするようになりました。

まず、神棚に立つのを止め、自分の外に神様がいるという前提で、対話するという形式ではなく、
内側にいる神様なり、自分の魂と対話するようにしました。

すると、神様を装った、稲荷などが、近寄れなくなったようです。

これは、大変嬉しい事でした。
こんな簡単な事で。

稲荷も大変勉強になるので、無駄な体験ではなかったとは思いますが、
痛みなどで生活で障害が起こるのは、困った事でした。

内側の魂の声と、肉体の部位それぞれの声に、手を当てて聞いてみると
特に不調を感じるところは、昔の記憶を蓄えていて
「そんなに、聞いて欲しかったんだ。」と
聞けば、次から次へと話してきて
「意外に自分はデリケートだったのに、気づいていなかったんだな、
自分の事、ほったらかしにしていて、
内臓に負担をかけて、悪かったな。」と思ったりしました。

それで、お腹の魂の部分に聞いてみると、
「あれは、悪い思い出になっているけれど、
魂の成長のために、自らチャレンジしようとして
敢えて難しい道を選んだのだ。」とか、
いろいろ別の視点で教えてくれるので、
それを伝えると、身体も、心も納得して、
不快感が消えていくようになってきました。

自分の内側を感じて、それを素直に信じることがカギだったようです。

あと、11日辺りから、異次元に入ったのではと感じることが多くなり、
これは、カコクセナイトとブルッカイトを使っているせいもあるかもしれませんが
面白い夢を立て続けに見ています。

一昨日の明け方の夢です。

薄暗い空の下、3羽の小鳥が止まっている庭の木の枝の隙間から、
赤い鷲のような鳥が、襲ってくるように舞い降りてきたと思うと、
いきなり、首と胴体が分かれます。
あっけにとられていると、
閉まっている窓の外から入ってきて、
眠っている私の目の前に浮いて、私が夢から覚めても覚えていられるように、
描写させてくれました。

男の人の声で、日本語を話しました。
私が、「目が覚めてしまうと、忘れてしまうから、覚えていられるように、
心の中で、描写させて。」とお願いし、デッサンしていると
書き終わるまで、待っていてくれました。

あの赤い鳥は、絶対、私の友達という
不思議な感覚があります。

目が覚めると、夢で見たとおり、外は薄暗く、
でもカーテンが掛かっていて、外は見えない状態でした。。

昨日は、亡くなった母が出てきて、現実とは、ちょっと違う近江市場で
一緒にショッピングをしました。

普通に会話して、「最近、お父さんが不機嫌で困ったものね。」
「うん。うん。」(ちゃんと知っているんだね。)
「ここに来たんじゃ、お父さんのところも行ったの?」
と聞くと、「お父さんのところには、行けない。」
と言うので、「ああ、そうなんだ。」(そうかもしれないなあ。)
という会話でした。

死んだ人は、いなくなったように見えても、
ほんとうは、いなくならないという理解でした。