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キジバトの赤ちゃん

キジ鳩の2羽の赤ちゃんが孵化して数日経ちました。

黄色のボワボワの綿毛が、いつの間にかキジバトらしい美しい模様を作って
旅立ちの日に備えているようです。

親鳥も姿を見せなくなり、
代わりに、メジロ、エナガ、ヤマガラ、シジュウカラたちが時々集まってきて
何やらめいめいに話しかけているようです。

わざわざ深夜まで電気がついている
部屋の窓の近くの枝に巣を作るとは、
逆に人間の側の方が安全だと思ったのでしょうか?

信頼されているようで、ちょっと嬉しく思います。

毎日、気になって、何度も見に行って、声をかけていますが、
未だ鳩の赤ちゃんの鳴き声というものを聞いたことがありません。

今日か、明日、きっと天気が続く日に、飛び立つのだろうかと、
毎日見張っています。

ヤマガラは、カラスが来ると、勇ましく鳴いて撃退してくれたり、
メジロは、ヒヨドリがけたたましく雛の近くで鳴くと
「どうしたの?」と言うように、鳴いて、諫めてくれます。

小さいけれど、しっかりとした子守たちがいて、
頼もしい限りです。

森の赤ちゃんは、皆で育てるという意識なのでしょうか?

人間も見習いたいところです。

ジョット『オニサンティの聖母』

アッシジに2泊した次の日は、
フィレンツェに行きました。

事前に予約をして行ったウフィツィ美術館では、                     
最初に展示されていたジョット・ディ・ボンドーネの『オニサンティの聖母』
(1310年 – 1311年頃)と
チマブーエの『サンタ・トリニタの聖母』(1285年頃)の前に、
あまりの光に滂沱の涙が流れ、
身体中の細胞が新しいものに入れ替わって癒され
浄化されたように感じました。
ヒーリング・アートなるものがあるとすれば
私にとっては、まさに、これこそがそうだと感じました。

実際、旅の疲れからか、久しぶりに酷く荒れてしまった手も、
その日から一気に回復していきました。

ジョットがキリストと聖フランチェスコを愛していたからこそ、
このような美しい絵画が生まれ、
ルネッサンスの魁になったということを
本で書かれて知っていましたが、
実物は、あまりのパワーに圧倒されて
冷静に見ることすらままならないほどでした。

アッシジと聖フランチェスコが生んだ画家・・
「聖フランチェスコの小さな花」という本にもあるとおり
数々の奇跡を起こした聖フランチェスコが
死してもなお、いかに多くの人に影響を与えたか
ということだと思います。

絵画を見て、泣いたことは、
今まで一度もなく、凄すぎて、言葉にはできない
本当に感動の体験でした。

もし、もう一度イタリアに行けるのなら、
アッシジと、フィレンツェに行きたいです。

今は、「アッシジの聖壁画たちよ、甦れ」(小学館)や
「聖フランチェスコの小さな花」(田辺 保訳・教文館)などを読んで、
聖フランチェスコの物語を
じっくりと、味わおうと思います。

アッシジの聖フランチェスコ

先日、イタリアに行ってきました。

そして、アッシジを訪れました。

30年ぶりのヨーロッパ、そして、アッシジは、30年来、ずっと訪れたい町でした。

父も「アッシジはよい町だった」と言っていたし、それに、
アッシジは、鳥とも話せた聖フランチェスコの町だからです。

心の中には、繰り返し「聖フランチェスコの平和の祈り」がありました。

私にはできないけれど、どうしたらそうなれるのかな、そう思いながら、心の中で
途切れ途切れ、小さなフレーズを刻んできました。

ほぼ予備知識無しで訪れたアッシジで最初に出会ったのは、
修道院を改装した石造りの小さなホテル、
ベランダからは、バラ色の聖キアラ教会が目の前に見え、
聖フランチェスコがお説教した鳩の子孫と思われる
鳩たちが巣を作っており
挨拶の歌を歌ってくれました。                      

花と実のなる豊かな庭、
アッシジの町とその向こうに広がるトスカーナの景色、
赤い夕陽。
すでにそれだけで、胸がいっぱいでした。

翌朝訪れた、聖フランチェスコ教会のゴシックとロマネスク建築も
ジオットーやロレンツェッティ、マルティーニの絵も素晴らしかったのですが、
見たかったという長年の思いのせいか
ただただ圧倒されてしまいました。

もっと身近に感じられたのは、聖フランチェスコの墓でした。

お墓の前のたくさんの人に交じって、
私もひざまずいて、お祈りしてきました。

とてもとても小さなものを一粒も残さないように、
このトスカーナの自然、大地も、風も、水も、草木も、動物たちも、星や月や太陽も、
全て強い情熱をもって愛した方だったこと、
そして、自身のことも、とても小さなものだと思ってきたことが
感じられました。
亡くなったあと、星になられたのだなとも感じました。

とても純粋で、自然に対する感性の鋭い、
神道にも似た自然観をもっておられたのだなとも感じました。

そして、この方の前では、私は、一粒の粒子以下になってしまう
それほど大変謙虚な方だったのだなと思いました。

聖フランチェスコが亡くなったポルチウンクラのある
天使の聖マリア教会の聖フランチェスコの「腰ひも」の前にひざまずいて祈った時、
はっきりと頭のなかで、響いた言葉、
「小さき者を大切にしなさい。」

この言葉は、帰国後も、私の頭に鳴り響いていて、
小さきものとは、実は、聖フランチェスコ自身が自分を「小さきもの」と呼んでいたということ
自身を最小限にして神に捧げたイエス様のこと、
そして、自分自身のこと、家族や友人知人のこと、
動物たちや自然のこと、
私が取るに足らないと思っているもの。
それらすべてが大切ということ。

その謙虚さは、おそらく、「夜の宴の王」と呼ばれるほど
遊び人だった自分を振り返ってのことだったと思います。

人にダメといわれて、自分を蔑むのではなく、
謙虚になって、
だめな自分をしっかり見つめて神様と向き合えば、
小さくてもよい、
誇れるものが何もなく、小さいからこそ、愛されている。
そういう単純さ。

単純でよい、小さくてもよい、
そう思うと、
充足感が身体中に溢れてきて
身体が震えて、
今までの全ての否定が、
全肯定に変わったように
感じられました。

聖フランチェスコは、「聖フランチェスコの小さな花」によると、
ある時、神への愛と喜びに打ち震えて、
ただただ、「ああ神様!ああ神様!」とだけ
お祈りしていたそうです。

聖フランチェスコのこの単純さ、動物や自然を愛する単純さ、
イエスに倣って、人を愛する忍耐強さ
これがあれば、最強に幸せになれると思いました。

そして、そのためにこそ、努力するのであって、
人にダメと思われないために努力するのではない
それをやっと理解したように思います。

小さき者全肯定。
謙虚であり、忍耐強くあること。

矛盾だらけの存在が、どこまで正直にだめな自分を見つめ
そこに届くか。

もし、命がまだ続くのであれば、
与えられた時間を
難しいかもしれないけれど
できればそのことを考えて使いたいと思いました。

長らく待ち望んでいた聖フランチェスコとの出会いでした。

ヒヨドリの赤ちゃん

最近の出来事です。

先日は、「ウークークックー」と窓の外の鳩に向かって、
鳩の鳴き声を練習していて、山鳩と仲良くなりました。

鳩は、「違うよ」と言うように、ちゃんときれいな声で、鳴いてくれます。

姿を見つけて、「おーい」と言うと、近くに飛んできてくれます。

今度は、ヒヨドリの幼鳥と仲良くなりました。

今年も、去年も、一昨年も、
庭の同じ木で巣立っています。

ヒヨドリを見つけると、いつも「ヒーちゃん」と話しかけます。

家に着くと、飛んできて、「ヒー」と挨拶してくれます。

この2羽は、いつも一緒にいる幼鳥ですが、
私の姿を見つけると、私のいる部屋の窓辺に近い枝にやって来ます。

そして、かわいく、「ヒーヒー」と鳴きます。

そこで、「ヒーちゃん、ヒーの赤ちゃん、ヒーはかわいいね」とか、
「そうやって、くっついて寝るの?」とか
「まだお家に帰らないの?」とか
私も、延々と話しかけます。

すると、葉っぱについた雨のしずくを飲んだり、グルーミングしたり、
ぴったりくっついてまどろんだりします。

しつこくしても、嫌ではないらしく、
ずっと近くの枝に止まっています。

私のこと、好きなのかな?

しばらくすると、下の方で、隠れて見守っていた親鳥が向かえに来て、
飛んで行ってしまいます。

また、明日も会えるといいな。

夜のしじまに

星一つない梅雨の真夜中

夜のしじまが、頭の上から降りてくる

たっぷりとした無音に、木々の世界は満たされて
身体ごと沈んでいく

足は、地面に溶け、
根が生える

地球と一つになる

夜のしじまに、身体は溶けていく

黒い聖母のような
あまりに豊かな闇に抱かれて
癒やされ、愛され、どこまでも深く落ちていく

夜のしじまに

モミの新芽の味

今日は、新緑の山中湖で、中1の次男とテニスをしました。

次男は、私のコーチ役を引き受けてくれます。

私が失敗して、変なところにボールを飛ばしてしまい
笑い転げていると、小鳥が、コートの脇のネットに止まって、
話しかけるような、鳴き声を聞かせてくれます。

そして、行き交うボールの上を何度も飛び交い、
まるで遊んでいるかの様です。

そして、ふと見ると、コート脇に植えてあるモミの木の新芽が
あまりに美しく輝いていて、そして、美味しそうだったので、
木にお願いして、少し頂いてみました。

最初、飛び上がりそうなくらいに、刺激的なえぐみ、
それとは対照的に、舌に広がるえも言われぬ甘露のような甘み、そして、
もの凄いスピードと力で
ハートを開いてくれました。

ハートが緑色に色づき、振動するような感覚になりました。

有り難くて、何度もモミの木にお辞儀をして、
標高1000メートルの遅い春の森の祭典に参加させて頂いた気がして、
湧き上がる感謝の気持ちを抑えることが出来ませんでした。

次男は、鳥に話しかけたり、モミの木にお辞儀する母親を
恥ずかしくも、受け入れてくれているようです。

そして、次男も大の動物好きで、
小鳥やリスなどの動物たちは、
庭で何かしていても、集まって来ては、次男に話しかけるように、
鳴いてくれるそうです。

道でお散歩中の柴犬などに出会っても、
何故か、次男には、強くしっぽを振って、飛び上がって、
遊んでもらいたがるのです。

同類だと思っているのでしょうか。

そして、今日は、リスのこどもが遊びに来ました。

窓の直ぐ近くに、私にも、真正面に白いお腹を向けて、
目をぱちくりしながら、
ヒマワリの種を食べる姿を見せてくれました。
ほわほわの毛、雨に濡れた耳、純粋な目の光、
繊細で柔らかそうな身体、
かわいらしくて、ハートが全開の瞬間でした。

赤ちゃんは、ちっとも怖がらないので、
毎年、この季節は、最高です。

山中湖の初夏の報告でした。

ヤマガラくんの特別な歌

4月に入ったというのに、今日は、一日中寒く、雪が積もりました。

車から出て、家に入る途中、
謎の鳥が、今までに聞いたことのない、繊細で複雑なメロディーを
ところどころビブラートを効かせて
私の歩く先に飛んで行って枝に止まり、誇らしげに歌ってくれました。

不思議な声だったので、新しいお友達かなと
私の歩みに沿って歌ってくれる声を辿ると、
たくさんのシジュウカラの中に、
歌うヤマガラくんを見つけました。

毎日庭に来る、「うちの」ヤマガラくんです。

これまで随分長く一緒にいて、一度も聞かせてもらったことのない、
あまりに素敵な歌だったので、ものすごく感心して、
思わず、「素敵!」と叫ぶと、
ヤマガラくんは、誇らし気です。

雪が降って、虫がいない日にもらったヒマワリの種が、
格別美味しかったのか、
それともお礼なのか、
ヤマガラくんからの特別な贈り物でした。

鳥の鳴き声と言えば、時々、「ジジジ・・」と警戒して鳴くシジュウカラに、
「ツピツピツピツピ・・」私が春の歌を真似して鳴くと、
とても不思議そうな顔をして、ぴたりと黙るので、面白いのですが、
この歌は、とても複雑で難しかったので、
真似は、難しそうでした。

キビタキくんなど、鳴き声を真似すると、「これもできるか?」と言わんばかりに
少しずつ、鳴き声のバージョンを変えて、
仕舞いには、素晴らしくビブラートの効いた、とても美しい歌を歌ってくれることがあります。

「これは無理だな」と諦めて、「上手!」と褒めると、
満足したように、飛んでいってしまいます。

以前、バードウィッスルを口の中に入れて鳴らすと、
たくさんの鳥が集まって、散歩について来てくれました。

どこに鳥が隠れているのか、不思議に思ったのでしょうか?

ですが、以降、どんなに試しても、来てくれなくなりました。

正体がバレてしまったのですね。

鹿に試した時は、もの凄く驚いて、何度も首をかしげて、目をぱちくりさせていたので、
「あんなに鹿が驚いているのは初めて見た。」と
主人が笑っていました。

私の悪ふざけに付き合う主人は、なかなか忍耐強いと思います。

今は、私の方で飽きてしまったので、
バードウィッスルこそ使いませんが、
口で歌を真似するのは、楽しくて、止められません。

森の鳥談義でした。

春の気配

春の気配がします。

といっても、標高1000メートルの山中湖の新芽は、
5月までお預けです。

窓のすぐ近くの枝に、ヤマガラがつがいで止まって、
「ツーツーピー・ツーツーピー」と
春の歌を聴かせてくれます。

あまりにも春が待ち遠しくて、降る粉雪も、私の目には、
ひなあられのお砂糖のようです。

寒くても、雪が空から降ってくるのを
ひたすら眺めて、その静かで純粋な結晶の波動に
全身清められながら、感動して、
ずっと立ち尽くしてしまいます。

特に夜。木々に囲まれた庭に出て
雪かきをすると、
空から降りてくる精霊たちのダンスがあまりに美しく整っている
静寂の世界にいられること、
幸せすぎて、じんときます。

自然とは、純粋さ。

山中湖の自然に生かされて
今日も元気にがんばります。

姿勢と心

最近、面白いことに気がついて、
それは、背中を真っ直ぐにすればするほど
身体の全てを引き上げれば引き上げるほど、
思考がクリアになり、
そうすると、ネガティブな波動も入りにくくなり、
入っても、抜けやすくなることです。

これも個人的な体験なので、
他の人に当てはまるか分かりませんが、
同様に、スワイショウという両手を前後に振る動作を繰り返すと
消化酵素が増えるのか、
消化が良くなり、身体がスッキリし、しかも痩せるようです。

これが面白いので、暇な時はスワイショウを楽しみ、
また、じっとしている時は、座っている時も、立っている時も、
背中とお腹と胸と首をピンと引き上げて
少しニュートラルな状態を楽しむことが出来るようになりました。

身体と心というのは
リンクしているものなのだなと感じるこの頃です。

小さなお客様

シメが、窓ガラスにぶつかってしまいました。
バードセイバーのステッカーが貼っていない方の窓にです。

脳震盪を起こして、冷たい空気の中では、死んでしまいそうでした。

手の上で温めようとしましたが、
回復まで時間がかかりそうなので、
玄関で介抱することにしました。

シジュウカラ達が一斉に集まって、枝に止まって、
固唾をのんで見つめていました。

ヤマガラが、家に入れるつもりなのか?!と
警戒して、ピーピーピー、ジージージーとしきりに鳴きました。

けれども、今にも死にそうな気がして
少しでもあたたかいところにと思って、
結局家に入れてしまいました。

小さな段ボール箱にタオルを敷いて
その上にシメを置いて
黒い布を半分かぶせました。

次男と二人で、「シメ、がんばれ」と言い続けましたが、
片目しか開けられず、立ち上がることも出来ないままで、
いてもたってもいられず、
後で調べたらそんなもの与えたら、ダメだったらしいのですが、
アマゾンのシャーマンが調薬したらしい「ダイマン」というエナジードリンクを
水で薄めてスポイトで少量与えたら
急に元気になって、立ち上がり、
それから眠ってしまいました。

次男は、シメの頭のにおいをかいで、
「健康な匂いがするよ」と言っていました。

そして、次の朝、シメは、元気になって
空に飛び立っていきました。

そのシメは、今日、家の庭に遊びに来ていました。

窓の一番近くの枝に止まって、
グルーミングしながら、気のせいか、甘えたように、こちらを見ています。

「シメが、戻ってきたよ!」

家族も嬉しそうです。

他の野鳥たちも、私たちに気を許してか、
より近くに寄って来るようになりました。

捕まえて食べないと分かったのでしょうか?

ヤマガラは、私と次男が庭に出ると
ツーツーピーツーツーピーと都度、近くに来て、
春の歌を歌ってくれます。

みんな元気で冬を乗り越えられますように。

クモくんの大きな目

最近、小さな生き物に興味が出てきました。

家にいる、あるいは、道端にいるクモとか、カメムシとか、しろばんば、とかです。

道に小さな緑色のクモがいると、「危ないよ。」と言って、
車にひかれないように、足をそっとつまんでどいてもらいます。

主人は、私の方が、危ないと思うけど。と言います。

幸い、緑のクモは、刺したりしませんでした。

おとなしく、つままれてくれました。

主人が、たまたまテーブルにいたクモを見て、
「カワイイ目をしているよ。ロボットみたい」と言ったので、
「まさか。」と思いましたが、
ルーペを持ってきて見たら、
大きな丸い目が、二つくっついて、あまりに絶妙で完璧なバランスのかわいらしさに驚き、
と思うと、目の前で拡大された毛むくじゃらのクモが動いたので、
スリルとかわいさに、
思わず絶叫してしまいました。

「クモの目に、良く気がついたね。」と言ったら、
太陽の光を浴びて、目がきらりと光ったのだそうです。

カメムシは、昔、ガムテープで捨てていました。

今では、出来るだけやさしく丁寧に話しかけて、
歯ブラシにくっついてもらい、外に退出願います。

不思議と、素直に言うことを聞いてくれるのです。

以前は、暴れ回っていたカメムシくんが、
優しくすると、ちゃんと、おとなしく出ていってくれます。

私の態度が変わったのは、たぶん、今は小6になる次男の影響です。

彼は、生きているものにも、生きていないものにも、とても親切な人です。

以前、彼が助けたカメムシをトイレに流したら、
涙を流したので、
私も、鬼のような心を少し反省して、
今では、カメムシは、かわいくて、いとおしいやつです。

星が鳴る夜

昨晩の星は、今まで見てきた山中湖の澄んだ夜空の中で、
とりわけ綺麗でした。

瞬く星、遠くで光る雷。
星が鳴らす音が、シャンシャン、キララと身体に響くようで、
心地良さに身を委ねていました。

すると、一つ一つの星からの光線と身体が繋がって
身体と星々が響き合う感じ、
一つ一つに見守られ、
自分は、自分と思っているこの身体以上の存在であること、
その存在の全ては、瞬間瞬間において
常に応援されていること
真っ直ぐに、一生懸命、今を生きなさいと言っていること、
そんな事を言われた気がしました。

これは、私がレムリアンシードを手にして感じることと同じで
私たちは、実は星なんだなと思いました。

もっと敏感になれば、個々の星の様々な響きも、
人々が実は星であることも、
見たり、聞いたりする事が出来るだろうになぁと
もどかしく感じます。

手をKan.さんに習ったタントウの手にすると、
ハートから大きな熱くて抱えきれないものがあふれ出て
対象物が分からない愛おしさを感じながら、
自分は一体、どこへ行くのかなと思います。

いつか、100歳まで生きられたら、星と、
それから、森の小鳥たちと、ほんものの対話がしてみたいです。