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野鳥にあいさつ

8月は、お隣の林や、家の庭で育ったヒヨドリや、シジュウカラ、
ヤマガラ、そしてメジロのこどもたちが
楽しそうに遊んでいるのを見かけました。

部屋の窓の直ぐ側に巣を作って
子育てしていたヒヨドリのたくさんのこどもたちも、
無事に育ってくれたのです!

心配して、そっと覗くと、直ぐに親鳥が
つがいのもう1羽も一緒に連れて
目の前にやって来て、抗議しているのか、
大きな声で、「ヒーヒー」鳴くので
「分かった、分かった。」と、見たいのも我慢していたので、
いつ巣立ったのか、見逃してしまい、心配していたのです。

私は、五行というポーズをして、静かに庭で立っているのですが、
怖いもの知らずのこどもたちは、
「なにやってるの?」と言わんばかりに
順に近くに寄ってきて、代わる代わる鳴いてくれます。

最初にやってくるのが、シジュウカラとヤマガラで、
真正面に止まって、
ピチューとか、ジージーとか鳴きます。
「ピチューちゃんとガラちゃん!」と私も挨拶します。

お腹が白黒か、オレンジ色で、元気よく鳴くので、よく目立ち、
直ぐに分かります。

その次に来るメジロは、緑色で、小さい上、
葉っぱにさりげなく隠れて分かりにくいのですが、
チチチ・・と小さな声で鳴くので、直ぐに見つけて、
「いたいた、メジちゃん。」

最後に来るヒヨドリは、いつも2羽か3羽で、バサバサ音を立ててやってきて、
ヒーヒー鳴くので、「ヒーちゃん」です。

この3兄弟たちを見ていると、追いかけっこしたり、水浴びしたり、
親鳥の鳴き声を一斉にまねしたり、
口移しで餌をもらったり、食べられない実を食べようとしてみたりと
とても面白いです。

今の季節は、アオゲラや山鳩、セキレイも来ています。

アオゲラは、お気に入りの木があって、そこにやってくるのです。

大きいせいか、動きが大げさで、縦に動き、
臆病なのに、時々家の壁をトントン様子見で叩いて、
「トントンだめよ」と叱られても、またやって来たりして、
とても面白いです。

鹿のお父さんは、窓の直ぐ外で、ちらちらこちらを見ながらも
安心してお昼寝をしていました。

鳥と仲良くなりたくて、「バードホイッスル」という、
紙で出来た小さな笛を口に入れて
色んな種類の鳥の声を出すと、
最初は、とてもたくさんの鳥がやってきて不思議がられましたが、
今では、もうばれてしまい、ほとんど相手にされなくなってしまいました。

鹿たちが、いつも、「しーかくん!」と挨拶している私の鳥の声を聞いて、
びっくりした顔は、忘れられません。

ちなみに、「日本野鳥の会」の創設者の一人、中西悟堂さんは、
子供の頃、厳しい行をしているうちに
小鳥たちが勝手にやって来て、肩や頭に乗るようになったそうです。

野鳥と暮らし、散歩にも、後からついてきたそうです。
なんて素敵な!

残念ながら、私には、手にも乗ってくれませんが、
出かける時には、私を見つけて
「行ってらっしゃい」と言うかのように、飛んできて鳴いてくれるし、
帰ってきた時にも、「お帰り」と言っているように鳴いてくれるので、
私も、「行ってきます!」と「ただ今!」と挨拶を返しています。

もしかして、自分のテリトリーに住む巨人が「出て行ったぞ!」とか
「もう帰ってきた!警戒態勢に入れ!」とか言っているのかもしれませんが。

ただ、最近分かったことは、ヤマガラのカワイイ「ジージージー」という声は
好意的な声だそうで、「ジジジジ・・」という厳しい声は、怒っている声なので、
どちらかというと、「ジージージー」と鳴かれる方が多いから、
ひょっとすると、好かれているのかもしれません。

主人は、私が野鳥と同じテンションで元気よく小鳥たちに話しかけるので、
近所の人や、宅急便の人に恥ずかしいとか、
(実際、話しているのを見つかってしまい、何人かにニコニコされてしまいました)
仲良くするために、もう少し、トーンダウンすると良いというので
今では、少し小さめの声で話しています。

びっくりさせないように。

今年の冬は、手乗りを目指してみます!

シジュウカラ語

初夏の裏山をお散歩するのが、最近の日課になっています。

そして、ブナやケヤキ、モミの大木、
それに、鹿や、リス、小鳥たちに出会うのが、とても楽しいです。

冬の間、ずっと庭に来ていたシジュウカラのいる木を通るとき、
声に出して、「ピチュー!」と挨拶します。

すると、通る度に、シジュウカラの方から、私の姿を見つけると、
「チー、チー、チー!」と鳴いて挨拶してくれるようになりました。

真正面の枝に止まるのもいれば、
隠れんぼするのもいます。

何羽も集まってきて、色んな声で鳴いてくれます。
「ジジジ・・・ピチュピチュー!」

私は、嬉しくて、隠れんぼする小さなシジュウカラを見つけ出して、
色々と話しかけます。

主人が傍から観察した結果、どうも、
シジュウカラたちは、面白がって、「私をからかっている」ということになりました。

「ジジジ・・」は、調べてみると、
言語を使う唯一の動物であるシジュウカラの言葉で
「近づけ」という意味らしいですが、
この「ジジジ」にも、色んなトーンがあり、
良く聞いてみると、色んなシチュエーションで、使い分けをしている様なのです。

ちなみに、「ピチューピ!」は、「警戒しろ」という意味らしいです。

ですが、主人は、私が、空を飛べないので、
シジュウカラは、「ジジジ・・こっち、こっち!鬼さん、こちら!」と方々へ誘って、
来られないと、「やーい!」とからかっているようだと言うのです。

どおりで、シジュウカラが、私の方に集まって来て
隠れんぼをしながら鳴いてくるのか、分かった気がしました。

放っておけば、1時間でも、ずっと鳴いていそうです。

私も、面白いし、友達になりたくてたまらないので、
シジュウカラの心臓の鼓動に出来るだけ波長を合わせて
それは、すなわち、愛の波動なのですが、
話しかけています。

シジュウカラと比べると、動作も鈍く、空を飛ぶことも出来ない、
しかも、シジュウカラ語を話せると思っている、おかしな巨人をからかうのは、
きっと面白いに違いないと、主人と話しています。

通る度に、集まるシジュウカラの数も増えて、
今日は、違う種類の小鳥も来ました。

そういえば、先週も、リスが、寝室の窓にやって来て、
窓枠を登ったり、降りたり、走ったり、落ちたりして、
次男と一緒に窓に顔をくっつけて、「かわいい、かわいい!」と大騒ぎしても、
ちっとも逃げなかったことが、ありました。

何をしに、来たんでしょうか?

自然の中で生かされる喜びが、動物たちのお陰で
随分増しています。

山中湖ライフのご紹介でした。

石のリーディングについて

これまで10年近く石のリーディングをしてきた中で、最近感じることですが、
石の波長も人間も常に流動的に変化しており、
あるときに、ある人が受け取ったリーディングだけで石を限定してしまうことは
出来ないのではないかということです。

石は、人間と比べて想像もつかないほど長い年月を経た存在であり、
あまりにもレベルが高くて、言葉に出来ないことも多々あります。

それをリーディングして言葉に置き換えるのは、
本当は無理にスケールを縮小してしまうことではないか
という気持ちがあります。

本当に必要なリーディングは、自分が新たな視点を持った時、
あるいはある視点を削ぎ落としたとき、
その時に必要な、重要なメッセージが降りてくることが多いです。

そして、石が持ち主にとって本当に重要な情報を開示するのは、
持ち主との奥底からの対話によってだと思います。

石は、私にとって、一瞬一瞬の私の霊的な成長を少しも見逃さずに、
私が理解出来るぎりぎりのところでのメッセージをくれる教師のような存在です。

真剣に進歩しようと思っていれば、思わぬヒントをもらえることがあるので
忙しくても、一歩立ち止まって、石に意識を合わせるのは、
豊かな体験です。

石は、崇高な存在で、遙か彼方まで広がる宇宙のスケールを、粒子として、
身体に振動として、伝えてくれることもあり、
そんな時は、そこにどんな解釈を持ってきて良いかも分からず、
ただ身をゆだねて、自分が元来た場所は、きっとそこにあるのだろうと
自分の大きさを今までに身につけた概念や思考だけに限定しないでいいことを
教えてくれる石に感謝するしかないです。

ただ、石の波動を全身で感じると、あまりに深く感動して、胸に秘めておくことも
興奮して、話さずにはいられないことも
ままあります。

本来は、持ち主が、石と共に真摯に生きて、石に対して、謙虚な姿勢を持つことにより
初めて、石は、その人の成長に本当に必要な、カスタマイズドされた内容を話してくれるのだと、
私は考えています。

リーディングは、表現として良いと思いますが、
人から聞いたり読んだ内容を枠にして、そこから出られないことがないようにと
お願いしたいです。

どんな著名な人の書いたリーディングにすら、頼り過ぎずに、
それを「絶対」と思わずに、鵜呑みにせずに、
単純に目安、あるいは、一つの「ものの見方」として受け取って頂いて、
石を手にして下さったならば、
「自分で感じようとすること」と、
「石との対話を試みること」をお願いしたいです。

もし、対話が出来ない、と思われたなら、諦めないで、
寝るときも枕の下や、眉間に貼ったりなどして、一緒にいて、
あるいは、聞こえにくいときには、オーラソーマのクイントエッセンス
「セラピスベイ」をつけたり、
水で洗い流してみたりして、石の声に、耳を澄ませてみて下さい。
準備が出来れば、メッセージを受け取れると思います。

寝る前の「有り難う。」
この気持ちのこもった一言で、石と繋がることができ、
夢の中で、メッセージを伝えてくれ、
そこから学ぶことも多いです。

個人的には、石を手にとって、石のメッセージが入ってくるときには、身体が浄化されて、
通りの良い筒の様な状態になり
ハートが開かれ、ハートでメッセージを受け取り、
その振動と出来るだけぴったりくる言葉にします。

石からの浄化に頼ると、石に負担がかかるので、
石がしてくれるのとはまた別に、自発的な身体と心と魂の浄化・精進も大切だと思います。

石は、最終的には持ち主が健全な人間性を持って生きる事で
地球本来の姿を取り戻すよう
願っているのだと思います。

石を持つ方には、共に歩む「友人」あるいは「先人・教師」として、
色んな角度から、石が本当に伝えたい、
その時の自分にとって一番大切な情報を受け取る事が出来るように、
敏感になって、石とつきあって頂ければ、とても嬉しいです。

リーディング担当のスタッフより

富士桜の花びらの味

山中湖にもようやく春が来ました。

山桜が、華奢ながらも、力強く咲いて、小鳥たちも大喜びです。

桜の花は、メジロやヒヨドリだけでなく、
シジュウカラやヤマガラも好きなようで、
次から次へと、夢中でついばんでいます。

そんなに美味しいのかなと、
私も木に「一ついいですか?」とお願いして、頂いてみました。

少し渋くて、とても苦い味。
ハートが強烈に開くと同時に、全身の細胞がエネルギーに震えていきます。

マイナス19度にもなった長く厳しい冬を堪え忍んで、やっと巡って来た春に
咲くことの出来る生命の「喜び」の波動。

忍耐という「力」の波動。

忍耐とは、「美」でもあるという波動。

「生きていることが、すでに凄い事である」という
説明も理由も何もない、
単純に、「命を愛おしむ」波動。

そして、生きる事は、厳しい冬を乗り越えるという意味で
厳しさであり、
忍耐であり、
それでもなおかつ次の春まで生き抜けたことは
喜びであり、
それらを全て包括すると
生命とは、力であり、美であり、愛であるというような教えが
波動として、身体全身を駆け巡り、
ハートが花びらが開いたように
ピンク色に輝きました。

たった一つの小さな桜の花が、
私にくれたエネルギーは、桜の命そのもので、
敬服するより他は、なく。。

このエッセンスを吸って、小鳥たちは生きているのだと知りました。
智慧のある小鳥たち!
こんなことも知らないで、「桜の花とヒマワリの種と、どっちが美味しい?」と聞く、私のことを
シジュウ達は、なんと思っていることでしょう。

こんな私にも、お願いして、許可を得てから頂く事で
メッセージをこめた薬をくれたのだと
理解しています。

マイナス19度になる、この冬の厳しい山中湖が、
私はとても好きです。

この春が来てくれて、桜が咲いてくれて、
木々達、そして動物たちが生き抜いてくれて、
私は、ただ、ただ、嬉しく、そして、有り難いです。

何もかも、生きていて、生かされていることが
とてもとても有り難いです。

クンルンネイゴンのレベル2で、伯井由紀さんに「光合功」というのを伝授してもらい
毎朝、太陽の光を身体を通して喜びと感謝の波動に転換することを始めたばかりですが、
太陽によって、全てが生かされていることを実感し、
全ての公平さ、
全ての存在の有り難さ、
いとおしさ、
そんなものに気づき始めた、この頃です。

手のひらを合わせて、感じること

最近、掌を合わせると、周りの物質、自分のもの、そうでないもの
意識の上にあるもの全てが
合わせた掌の前にあるハートに集まって来ます。

そうして、全てが自分のものになってしまう感覚が湧き起こると、
あまりに有り難くて、かたじけなくて、「有り難い。」と思うと
全ては、一瞬で霧散し、粒子になります。

私の意識は、粒子の一粒一粒になり、
同時に、全体となります。

全体になるかと思うと、肉体の意識に戻っています。

合わせた、両掌の起こすマジック。

手を合わせるだけで、周りのエネルギーが身体に集まり
自分が、限りなく小さくなり
同時に全体となるような
不思議な感覚を持った肉体に
変わってきていることを感じる日々です。

クンルンネイゴンのボディワークは、
確かに効果があるようです。

グランディングを助ける茶色いフェナサイト

今日の午後、ふと山中湖を見ると、
雨と風の向こうに大きな虹が架かっていて、とても嬉しかったので、
『わー虹だ!!』と、身体を同調させると、
虹のハッピーなエネルギーが全身を満たし、
身震いをしました。
大変美味しい色と波動のご馳走でした。

茶色い、あるいは、ピンクベージュっぽいフェナサイトについて書きます。

クリアや白ではなく、ピンクやベージュ、茶など、色がついたフェナサイトは、
身体に余分な緊張感があったりすると、
筋肉をほぐし、エネルギーを下に流して、リラックスさせ、グランディングを助けることで、
緊張のため、肝心なところに使えなかったエネルギーを、
必要な時に使えるようにサポートしてるように思います。

私の場合、歯を食いしばる癖があり、
どうしても、緩めることができなかったのですが、
茶色いフェナサイトとワークを始めてから、
身体が先か、メンタルが先かは分かりませんが、
(たぶん、同時に影響を受けて)
直ぐに顎に力が入っていない状態を体験し、
それが続いています。

透明で色のない石ばかりが良いのではなく、
それぞれの色、それぞれの石に、
きちんとした役割があるのだなと思います。

透明感のない、くすんだ茶系の赤のアンダラがあるのですが、
置いてあるうちに、活性化して、神々しいエネルギーに変化していき、
今や、私の目には、美しいとしかいいようがなく、
グランディングと、ハートが震えるような深い真実の愛と
癒やしのエネルギーが炸裂しています。

石たちは、みなユニークです。

そして、学ぶことが、たくさんあります。

毎日、たくさんの先輩達と一緒に暮らせることに
とても感謝しています。

身体の神秘を知るワーク

最近、身体を使ったワークをやっていて、
それがとても気持ち良いので、毎日の楽しみとなっています。

一つは、マオシャン五行といって、簡単な5つのポーズなのですが、
それぞれのポーズは、主要な臓器に対応しているため、
これを一つずつ丁寧にやっていくと、
内臓のバランスが取れて、精神や感情と繋がって
身体の調子(特に腎臓や腸、傷の治癒など)が目に見えて良いです。

そして、Kan.さんのDVD『銀河系ボディに目覚める』で紹介している
「タントウ」という手の運びが、とても素晴らしく
このポーズを取ると、中指から、愛の波動が勝手に流れて
自分の身体のあらゆるシナプスを伸ばし、その延長線上に、世界のあらゆる存在と
繋がっていくという、とても不思議な感覚があります。

そして、ちょっとした不調があっても、
このポーズを取ることで、エネルギーが愛に変換されてしまうのです。

このタントウというポーズをとり続けて、Kan.さんは、
ラグビーで半身不随になるといわれた脊髄の損傷を
わずかな期間で完治させたそうです。

他にも、合掌した手を少しずらして、両手の指を耳にあてて(その他、目、口、鼻)、
穴と対話する方法もDVDで教えていらしたのですが、
これをすると、頭にあるこの7つの穴が
いかに神秘的で美しい波動を放っているのか、
あるいは、目が本当は何を見たがっているのか
鼻が何を知りたがっているのか
口の伝えたい本質とは何かが、毎日少しずつ分かり
とても感動します。

武術の動きのようなポーズでは、内観をするのにとても良いようで、
眉間に向けた手のひらが、ハートを貫き
後ろに回したグーにした手に一直線に繋がり、
自分がハートに従って生きているか、
愛の目、真実の目で自分の世界をしっかり見ているか、繋がっているかを
自分に問うことが出来ます。
そして、そうなるように身体が勝手にポーズを整えてくれます。

身体は、自分が思う以上に、色んなことを知っていて
そして、ものすごい力を持っているんだなと思います。

その忘れ去られた力は、クンルンネイゴンやKan.さんから教わった
身体を使ったワークをすることで、
自然と蘇ってくるように思います。

そして、そういったワークを、クリスタルや、オーラソーマ、精油、そして、
自然達が、サポートしてくれます。

外に出て、自然と交流するのは、楽しいです。
私は、野鳥たちと声に出してお話するのが、好きです。
木の前で、近づいて良いかどうか、許可を取り、叡智を頂く時にも畏敬の念を抱きます。
草木の精霊達との交流には、オーラソーマの『クツミ』も良いです。
山を歩き回り、太陽と風に当たって、新鮮な空気を吸い、身体のバランスを取り戻します。

昔は全ての人が出来たであろう、自然との交流をわずかでも取り戻すのは、
大きな喜びです。

私にはレベルが高すぎるロシアンレムリアンとの対話をサポートするのは、
オーラソーマの『セラピス・ベイ』です。

ロシアンレムリアンと対話すると、
「あらゆる思考、型にはまった概念を解体し、
全ては粒子であると知覚するように。
あなた自身も粒子であり、その粒子を自由に操り
透明な光になるように。
そこから、全ての叡智の扉が開く。」と言います。

ロシアンレムリアンの先端を頭に向けて横になると、
様々な秘儀的な知識が、凄まじい勢いでダウンロードされる感覚があります。
石を手に取ると、身体といつの間にか同調しています。
何をダウンロードしてもらったのか、身体に教えてもらいたいです。

アンダラ・クリスタルを手に取ると、身体と心がどこまで澄んだ気持ちの良い、
自然の波長になれるかを教えてくれます。

身体は、神秘で、奥が深く、
知らない領域で一杯です。

もっと身体の不思議を知って
自分が、本当に宇宙なのか、もしそうなら、どんな宇宙なのかを理解してみたいです。

アネラクリスタルからのメッセージ

昨日は、立春。
今朝は、マイナス15度の山中湖も、
ヤマガラが集まって、春の歌を鳴いてくれました。

「チュルチュルチー、チュルチュルチー。チュルチュルチー、チュルチュルチー。」

近くによって来て、喜びの声で和ませてくれます。

窓越しにぽかぽかとあたたかな日差しの下、
蓄熱式暖房の上にのせて温めてあったアネラクリスタルとの対話。

手のひらに乗せると、強烈な至福の喜びが、全身を震わせます。
身体が自然と揺れて、不要なものを浄化する動きに入ります。
そして、ただ、愛されている、という喜びに浸ります。
愛されている自分の存在も、宇宙レベルからみて、愛おしいとも感じます。

メッセージ:「あなたは、クリスタルの守り手。
アネラクリスタルは、アネラクリスタルが、愛そのものであること、宇宙そのものの波動であり、
人間もまた、愛であり、宇宙そのものであるために
アネラを媒体として、思い出させるために存在しています。

思い出すために、身体と思考の浄化が必要です。
同調することで、浄化が促され、
身体が粒子のように細かくなり、
宇宙の波長に同調できるようになっていきます。

あなたは、宇宙そのもの、愛そのものであることを知って下さい。

宇宙であることを知ることは、
自然の摂理であることを知ることであり、
自然の摂理とは、宇宙とは、消えては現れる、創造と破壊の巡り来るサイクルの流れです。

そして、それを知るには、木と同調しなさい。
風と同調しなさい。
石と同調しなさい。
水と同調しなさい。
全ては、自然が教えてくれます。

自然と同調することで、
宇宙への扉が開かれ、
言葉が降り、思考が降り、
その言葉と思考を生きることが、本当の人生であり、
アートであるのです。

アネラは、そのために使って下さい。」

立春に、祝福のメッセージでした。

銀河の渦と繋がる

クンルンネイゴンで教わった、道教の陰陽のシンボルのような手の形、
右手と左手を上下で魂を包み込むような形
この形を作ると、ハートを中心に放射線状にエネルギーの流れが出来て
余分な思考や付着物が、全て振り飛ばされる感覚があります。

そして、それを続けていくと
中心(ハート)にエネルギーが集まり、、
そのエネルギーとは、愛としか言い様のない感覚なのですが、
対象物がなくても、なにか愛おしく、幸せな感覚に満たされます。

この感覚は、アンダラクリスタルを持つときに感じるのと似ています。

吸い込まれると同時に放射されるような、ゼロ磁場?のような、真空の感覚。

宇宙の根源にある、渾々と湧き出でながら、中心へと向かっていく泉、
引いては寄せ、引いては寄せていく波のような
そういった不思議な感覚が、アンダラからは、感じられます。

ネガティブを振り飛ばすことは、愛を集めること。
相反するように見えるエネルギーの流れが、同時に行われることを体感すると、
実は、ネガティブは、そんなに悪いものではなく、
ポジティブに変換する単なる材料というか、
一つのエネルギーの片方に過ぎないという理解へ変わり
二元論への執着が無くなってきました。
たぶん、中庸の感覚です。

片手にアネラクリスタルを置いて、陰陽のポーズをとると
アネラがエネルギーの粒子をどこまでも細かくして
身体が溶けて遠くまで広がっていき、
銀河系の果てまで繋がっているような感覚に陥ります。

そして、モルダバイトを手に乗せてクンルンネイゴンをすると、
「扉は開いた。」と知らない男の人の声が、はっきりと聞こえました。

先日、伯井由紀さんのパーソナルエナジーセッションを受けて、
伯井さんの手が、頭の上にある時に、
今まで味わったことの無い感覚がありました。

それは、自分が一滴のしずく、あるいは粒子となり、
大海の一滴として、溶け込むという感覚です。

完全な静寂。何もない。「無」という感覚。

未来、過去、そして今が、溶け込んで存在している状態。

伯井さんは、「頭の上に、大きな銀河がゆっくりと渦を巻いていました。」
「(2ヶ月)前よりも、繊細で、細かくなっています。」と
仰っていました。

この後、アンダラを手に取ると、
全てが生まれ、そして、死んで行く、
繰り返す、創造と破壊、森羅万象のエネルギーが溢れていて
自分は、どうして、今まであっさりとこの感覚を
手放して来たんだろうと、
アンダラの凄さを軽んじて来た自分に
呆れてしまいました。

「生きている」というだけで、この自然、自分の存在そのものが、
既に凄いことなのに、当たり前過ぎて、何も分かっていない、
それに気づいたのかもしれません。

家に帰ると、お願いしてあったのとは別の、
見事なレムリアンシードが届いていて、
その石を手にすると、頭の中心から、銀河の中心に繋がっているのが分かり、
自分が、そこから、来たことが分かりました。

それは、過去でもあり、未来でもあり、そして、今でもありました。

「そんなことがあるものか。」と、何度も感じてみましたが、
やはり、頭の中心が銀河の中心としっかり繋がっており、
その中心は、真空の、全てを吸い込むブラックホールで
反対側は、別の拡大していく宇宙に繋がっているようでした。

同時に、自分の根源、起源が分かったという確信があり、
そうすると、何か、吹っ切れて、
自分に与えてきた価値判断は、全てどうでもよくなって
自分は、これで良いのだと、自由な感覚が湧き起こってきました。

今までより、ずっと、心が軽やかで、幸せです。

最近、本当に笑っている時間が増えたように思います。

長く続いた苦悩とさよなら出来たのは、
石たちと、多くの人たちのサポートのお陰です。

感謝です。

アネラとアンダラ・クリスタルを使う

今朝は、雨です。
屋根に当たるしずくの音が、音楽のように響いて、
全身に染みわたり、雨とは、「飴」ではないかと思うほどに
心にも甘く栄養を与えてくれています。

アネラとアンダラのことを書きます。

アネラは、人間の感情や、エネルギーに左右されにくい希有なクリスタルで
非常に高い次元のポータルです。

クリスタルそのものは、ヒーリングストーンというわけではなく、
クリスタルを通じて、アネラ次元から、光を降ろして
ヒーリングを行うことが可能です。

アネラを持って光を降ろすのと、アネラなしで降ろす場合は
私の場合は、光の質が全く違い
ヒーリングには、良く作用するのですが、
浮遊霊を上げようとしても、
アネラの光があまりに強すぎて、嫌がることがあるため、
その場合には、私は、アネラは使わずに
自分の身体を通して行います。

アンダラは、一つ一つが心と意志を持ち、天使界とも繋がっている
ヒーリングクリスタルではありますが、
周りのエネルギーに非常に影響を受けやすいため
アンダラをヒーリングに使いたいのであれば、
自分のエネルギー状態もクリアにすることが必要です。

アンダラは持ち主によってエネルギーが面白いほどに
変わるクリスタルで、透明度や輝きも変えて
楽しませてくれます。

たとえ、どんより曇ってしまったとしても
ヒーリングして、クリアな状態に戻すことも可能です。

私の場合、アンダラへのヒーリングとは、
アンダラにこもってしまった人間の情念をリーディングして、その情念そのものを
創造主の元に愛と共に送って上げるという方法を取ります。

アンダラも、アネラも、人間が本来の魂の輝きを取り戻すことを
神様の使者として、サポートする意志があるクリスタルたちなので、
人間が変容して、浄化され、生き生きと愛に満ちた存在に戻ることを
とても喜びます。

アンダラとアネラが一直線に一点を指し示している姿は、
本当に健気で、凜々しく、尊敬に値する姿勢です。

私は、青いクリアなアンダラが一番好きで、
そのストイックに頑張る姿に、見ほれてしまいます。
クリアと青が混ざったアンダラは、毎朝、朝日を浴びて輝いて見せてくれて
私の魂をそのまま映しだす鏡のように感じて
勇気づけられます。

赤いアンダラは、キリストの愛の様に美しく、
心身を温め、活力で満たします。

こげ茶のアンダラは、自然と融合し、グランディングすることの
素晴らしさを伝えています。
母なる地球の魂。

それぞれのアンダラに、それぞれの役割があり
私にとっては、どのアンダラもとても大切で、愛おしい存在です。

家に迷い込んで来た野鳥も、アンダラクリスタルが好きなようで
気がつくと、アンダラの上に止まっていたことが
何度かありました。

アンダラの繋がる無限の愛に、
動物も癒やされるのでしょうか。

今年の抱負

明けましておめでとうございます。

今年も、どうぞよろしくお願いたします。

山中湖は、マイナス10度。きりりとした空気で
外に出るときには、マフラーの中に首をすぼめて、
車に乗るまで少し息を止める寒さです。

野鳥たちは、毎日朝晩、たくさんのヒマワリの種をもらって
すっかり安心している様子です。

昨年から、ずっと考え続けているのは、
この人生で、何故自分は、したくもなかったはずの経験を
体験しなくてはならなかったのか
その理由についてです。

そして、今、分かってきているのは、
自分が注文したものが、そっくり起きてきたのだということで、
それまた、いかに自分がパワフルかを
証明しているかということでした。

しかも、自分が注文したにもかかわらず
注文したことにすら気づいていないか、
注文してしまったら困ったことが起きる事を
信じるのを、半ば拒否し続けてきた、ということです。

全て、自分が本当に望んだことが、起きていたことを
認めるのは、自分のダークサイド(自己否定、戦いの意識、恐怖等)を
徹底的に見つめる事に他ならず、
「自分の人生に対して全責任を取る」という言葉の意味を
分かり始めた気がします。

それでも、闇と光の両方を持ち合わせている自分という存在を
身体が感じているのは、自分は、宇宙の一部であり、
宇宙とは、表裏一体の、宇宙の、もっといえば、創造主のかけらだということです。

エネルギー的な付着物があった時に
それを善悪の区別無く、抱きしめて
創造主の元に送るとき、
身体は、宇宙となって、その存在を抜こう側へと送り出します。

同時に、私の輪郭は曖昧になって、
外側も、内側も無くなっていく感覚です。

この感覚が意味するところは、
自分の内側が、外側に現れているに過ぎないということで
外側を抱きしめていると思っているけれど
実は、内側(自分)を抱きしめているのでもあり、
結局同じ事なのだ、ということです。

それならば、私が本当の意味で自分のダークサイドを統合できたなら
世界を平和にするために貢献することも
可能なのではないかと
思い始めています。

年始めのブログに、何か縁起の良いことを書こうと思い、
宣言してみます。

私は、今度こそ、自分のパワーを、自分と自分の周りを
幸せに楽しくするために、使うことを
全ての葛藤を乗り越え、抱きしめて、実現することを
意図します。

アンダラの役割

『ハウルの動く城』を家族で見て、
思いついた事をやってみました。

統合しようとしても、断固として拒否されてしまい
どうしても統合できない「ダークサイド」を
ハウルの心臓がソフィーに戻される時のように、
愛の前に降伏して、
一人二役で、「心からの愛を持って、抱きしめる」試みです。

が、やってみたら、出来ました!

浸透圧がかかったように、抱きしめられた「ダークサイド」が
身体に染みこんで行き渡り、
欠けていたエネルギーが充満し
「自分が自分であって良い。」
「私は、私であるところのもの」という感覚が
身体中で湧き起こり
ダークサイトとは、戦ってはならなかったし
戦う方法では、統合は決して出来なかったことを理解しました。

今まで、浮遊霊などに対して、
同じやり方でやって来たのに、
自分に対しては出来ないというのは、
おかしな話で、
「本当に自分を愛することが出来なくして、
人を愛することは出来ない。」
と言われるように、
私は、浮遊霊も、こんなに愛していたはずの家族も自分も
結局のところ、愛してはいなかったのだと
苦しんだ挙げ句の「降伏」でした。

それで、この先祖7代から渡る、同時に前世から
何度も魔女や巫女として殺された
壮絶な記憶から、
身を守るために、能力は決して使わない、見せない
そのための自己否定でもあったため
大変根強く、これを完全に抱きしめるには
一度では済まないかもしれませんが
たぶん、このやり方で良いと思います。

ネリー夫人から譲られた、緑色の丸いアンダラがあります。

クリスマスに、木彫り聖ニコラスと一緒に
飾ってあるのですが、あまり幸せそうではないので、
聞いてみると、

「私は、インディアンのあの魔女とその家族が好きだった。
あの家に帰りたい。」

なるほど。どうしよう。。

さらにリーディングをすると、

インディアンの祈り、自然に人が融合し
真に自然の心を理解し、
完全な人間になるその「道」が
アンダラに託されており、
アンダラがここに来たのも
その「道」と祈りの「心」が
私に託されたからなのだと分かりました。

それで、私はアンダラにこう言いました。

「分かりました。では、私は、これまで私が味わってきた
壮絶な自己否定の道筋を、
自然と融合する努力を続ける行(クンルンネイゴン)により
自己肯定への道へ変容させる
その方法が分かったので、
今度は、ネリー夫人から託された者として
そのお仕事を石を通じてお手伝いする役を引き受けたいと
思いますが、
あなたは、それを受け入れてくれますか?
そして、私に力を貸してくれますか?」

そう心の中で伝えると
アンダラは内側からエネルギーが変わり

「それで良い。」
と答えてくれました。

聖ニコラスの木彫りの人形の前に
置かれた緑のアンダラは、
人の変容、
自然を対象物として扱うのでは無く
自然の中に、宿る精霊のような存在として
自分を木の目から見る
そのような人間への変容を助ける
本物の魔法使いの石へと
役割を認識してもらい
光っています。

人の心の変容こそが
余分な思考の浄化こそが
自然へと帰る道であり、
クリスマスに相応しい
最高のプレゼントだと
個人的には思います。