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シジュウカラ

野鳥のことを書きます。

家に帰ってくると、バタバタ音がするかと思うと、
シジュウカラが一斉に集まってきて、
鳴きます。

「ピチュー、こんにちは。」

と言うと、「ピーチュー」と鳴きます。

近くに飛んできて、黙っている時もあります。

「ジジジ・・」と警戒の声を出す事もあります。

えさを欲しがるので、ひまわりの種を手に乗せて、
「おいで」と言っても
近くに来て、身震いして、乗ってくれません。

それでも、えさがなくなると、仕事部屋やキッチンの窓をのぞきに来て
「ピチュー」と鳴くのです。

主人は、「役に立たない。」とか、「恩知らずだ。」とか言いますが
かわいく鳴いてくれるだけで十分に癒やされます。

それに、今まで主人がえさやりに外に出ると
すごい勢いで逃げて行ったのに、
最近は寄ってきて鳴くので、
「うちで飼っているみたいだな」とまんざらでもなさそうです。

私は鳥の言葉が分からないのですが、
それぞれ、お互いにすきな事を言って、
しばらくお話をするのがとても楽しいです。

今朝は、シジュウカラとお話ししていると
ヒヨドリが直ぐ側にやって来て、「ヒー」とかわいい声で
いつまでも鳴いているので、
えさが欲しいのかなと思い
ミカンを置きましたが、食べた跡はなく、
えさではなかったのかなと思いました。

以前は、鳥たちの方からこんなに話しかけてくれることは
なかったように思いますが、
私たちが気づかなかっただけでしょうか?

分かりませんが、庭に
小さなお友達が住んでいるようで
幸せな気持ちになれます。

石に添えられているハーブについて

時々、「この、石と一緒に送られて来た、袋詰めされた「草」は、何ですか?」と
お問い合わせを頂く事があります。

これは、「ラベンダー」という「ハーブ」で、
ハーブティー用のをオーガンジーの袋に入れて、小分けしてあります。

石を浄化し、保護する働きがあります。

長期、石を使わない場合、ラベンダーと一緒に保管すると
石は、ラヴェンダーの精に守られて
いつまでもクリーンなままです。

また、枕元に置くとよく眠れますし
クロゼットに入れておいたり、
鞄の中に入れて持ち歩いても、良い香りがして
精神を落ち着かせるのにも良いです。

お嫌いでなければ、お使い頂けると幸いです。

ご参考までに・・

モアッサナイト

メッセージは、「時間についての誤解を解き、自由な空間(ハートに存在する「今」)から真理を見いだす。」

手にすると、ダイヤモンドを凌ぐ輝きです。

決して汚されることのない、どこまでも純粋で清らかな「星」といった印象です。

波長を合わせると、
「神の恩寵とは、今この瞬間に存在する。」
「すべて存在していること自体が、恩寵である。」と理解出来、
それ以上もそれ以下でもない、
「究極の完成形の状態」が
この輝きの中に存在しています。

「落ち込んでいる暇はない、くよくよしている暇はないと鼓舞し、
今直ぐ、このハートの中に真実を見るべきだ」と励まします。

真実とは、時間という概念が存在せず、
「今」現在のみがハートの中に存在すること、
また、自他の距離も実は存在しておらず

その今という瞬間に意識を置くことは
ネガティブな感情や欲から解放され
全てを生きていること自体を贈り物として受け取り、喜んでいる状態にいることを意味し、
他のものとの境界線が希薄になり
共存する仲間
共に地球に生かされている仲間として
感謝と喜びと思いやりの中で自然、天地と人とが繋がること
同時に、他者に見えていたものは、
実はもう一人の自分であったことを意味する。

(宙に浮くことなく、重力でつなぎ止められることなく
丁度中間のゼロ磁場という感覚で静止しながら回転し続け、
流動的で自由な空間に身を置くことが出来、その)

与えられた空間で自分がどうあるべきか、どうありたいか、
全て自分で決められるのであれば、
最も良い状態に意識を持って行くことこそが
自分の使命であり、義務であり、責任であることを
知らしめる石。

現実的に、恐れることなく、エネルギーを無駄なく使って
「良い意識を保つ」という目的を達成するために、
必要な過程、道筋を指し示し
最短で結果に結びつくよう励まし、サポートするようです。

また、今という瞬間に、過去も未来も含まれるために、
全ては、今ここに、共にあるために、
「愛情に満ちた心で、自他共に育む意識でいる。」以外、
必要はないことを教えます。

同時に、過去における間違いは、「今」理解し、修正することで、「過去」も修正され
カルマもこの智慧により解消されることを教えます。

今ある時間という概念に意識的に縛られていることを自覚させ
今この瞬間しか存在せず、その瞬間に生きることは「自由」を意味し、
この瞬間しか存在しないために、
今を正しく生きることは、過去も未来も即修正することになり
どの「瞬間」も大切にする意味の大きさを教えます。

また逆説的に、大切にすべきは、この瞬間という「永遠に存在する心」であり
心を常に清らかで、幸せな状態に保つことで
時空を越えた、真の自由が生まれることを教えます。

地球の圧力の中から生まれた、神の道に沿うよう、強靱な意志を持つよう促すダイヤモンドと、
モルダバイトのように自分の起源を思い出させる隕石、
その両方の心を併せ持つ石、モアサナイト。

地球上の物質を使って、隕石に含まれた宇宙由来の鉱物として作られ
生まれた、星の種。

純粋であることがこれほど気持ちの良い、幸せな感覚をもたらすのかと思うほど
忘れていた無垢な、子供の、または、天使の心を思い出させる石です。

ただ光ってきれいなだけでない、独自の波動があり、
時空に縛られない答えが含まれています。

難しく考えすぎた時や、分からなくなってしまった時に
そんなに考えなくても、迷わなくても
単純であること、清くあることが、既に答えであることを
教えています。

神の愛はここに、そよ風の中に、小鳥のさえずりの中に
太陽の光の中に存在しているように、
モアサナイトも同じメッセージを発しており
理屈など複雑なものがない
今ここに喜びを見いだして生きること
単純なところにこそ、答えはあるのだと
説得のしようもない真理がここにあるように思います。

今年もどうぞよろしくお願いたします。

待ちに待ったリスが、今朝やって来ました。

昨日はマイナス17度で、こんなに沢山野鳥が来ているのに、
リスはどうして来ないのかなと
心配していました。

『甘やかしすぎだ』
『丸々太っている。』
『美味しそう。』(または、『喰っちまうぞー』)
『ダメになる。』
『図に乗る。』(『誰のお陰で楽しませて
もらってると思ってるんだ?』と逆に聞かれる。)

等々、色々言われつつも、
手分けして、せっせとひまわりの種を与え続け、
もちろん、シジュウ(カラ)やヤマガラも十分楽しみましたが、
やっとリスがやって来たのです。

こんなに愛されているのに、随分用心深いリスで
なかなか写真も撮らせてくれません。

捕まえて、頭から食べてしまいたいくらいの
かわいらしさです。

寒い中、ほっこりと安心して、
余ったひまわりの種を下に見て
木の枝でひなたぼっこをしている、普段敏捷なヤマガラを見ると
こちらまで、満たされた気持ちになります。

今朝は、リスがたっぷりと食べ終わった後、
カケスがすかさずやって来て、
慌てて喉袋に詰め込んでいました。

カラスの仲間で、大きな身体なのに、
動きはまるで小鳥で、可愛らしく振る舞い
ピルルと小鳥のまねをして鳴くので、
笑ってしまいます。

それにしても、喉袋の種は、一体どこに隠すのでしょう?

仕事をしていても、お皿を洗っていても、
食事をしていても、えさが無くなると、窓から部屋を覗きに来ます。

目の前でホバリングされると、
びっくりしますが
本当にかわいいです。

山中湖の娯楽、リスと野鳥のご紹介でした。

サンタはいるか。

クリスマスが近づいて、美しいアニメの映画(「ガーディアンズ」 伝説の勇者たち)を見たり
絵本(「サンタさんのトナカイ」)を読んで、
サンタの存在に半信半疑だった小4の次男は、

「やっぱり、信じてあげないと、子供達のために
一生懸命働いてくれているサンタさんが、かわいそう。」
という意見になってきています。

中1の次男は、どのような計算か、誰から仕入れた情報か分かりませんが
「サンタさんが一日で、日本中の子供達にプレゼントを配るには、
マッハ10の速度で動かなくてはならないし、
そうすれば衝撃波が生じて、家が吹き飛んでしまうから
家が吹き飛んでいないって事は、サンタはいないという事になる。」

次男:「サンタは目に見えないから、衝撃波は起こらないもん。」

長男;「サンタが本当にいてプレゼントを子供達全員に配ったら
どんだけ金がかかると思ってんだ。
プレゼントはタダだと思うなよ。」

主人:「オヤジ・・・。」

どちらも、一応、サンタの身になって考えてみてくれたことが
親としては有り難い思いです。

4年生、中学生ともなると、「ゲーム以外」で、プレゼントとなると
相当頭を使わなくてはならず
大変なんですが。

とにかく、心は愛情一杯で、クリスマスまで、
クリスマス以降も、毎日を大切に過ごしたいと思います。

 

 

サンタの声

夜、家に帰ってきて、小四の次男が、「あっ、フクロウだ!」と言いました。

どれ?と耳を澄ますと、本当に、「ほーっほーっほっほほーホホホホー」と聞こえます。

「ああ、あれは、もしかしたら、サンタさん?」
「サンタさんって、実はフクロウだったのかも。」と言うと

何という勘違い。ばかばかしくて相手にならないという顔で、私を見ます。

でも、絵本では、サンタさんは、「ほほほーい!おーい!ノンターン!」と言うし、
本当にそう言うのだとしたら、きっとサンタはフクロウに違いありません。

4年生になって初めて、実はお父さんとお母さんがサンタに相談をして
良いと言われたものだけを自分達で用意するのだということを
白状した矢先、
サンタがフクロウなどと言うと、ますますつじつまが合わなくなって、
混乱しているか、信用出来ない親だなぁと思っているかもしれません。

それでも、どうしたら、または、何であれば、サンタに良いと良いと言ってもらえるか
(つまり、結局は、親に。)
考えあぐねている次男でした。

 

最近感じたこと

ここ最近、感じることは、とにかく
どんな自分の欠点にも目をつぶらず心の掃除をすること、
また、他人のどんな欠点を見ても、嫌うこと無く受け入れ尊重すること
心を透明に正しく保つようにということです。

自分の悪い心を見て、葛藤して
どうしても制御できない時に神棚に立つと
過去生でその因縁となるものを見せて頂き
なるほどこれだから自分はこんな性質があり、
今それと向き合い精算するチャンスを与えて頂いているのだと
理解出来ることもあります。

悪い心が自分を悪い神様にし
良い心が良い神様とする。

自分の心が全てだから
常に心の状態を正しく守りなさい。

遠い過去が実は今も現時点に継続し存在し
現在に転写されて、
今を修正することで
過去が清算され
よい未来に繋ぐために
今というものが存在している。

だから過去も未来も
本当は無く、
今に集約されているだけ。

だから今この瞬間を
常に自己と向き合い、
過去を清算するために
自分の弱さと向き合い、
間違ったことを直す強くてきれい心を
育てるように

それが周りの環境にも
非常に大きな影響を与えると
繰り返し言われています。

毎日、自分の心をチェックし
身体の波動をチェックし
正しい神様と繋がっていられるよう気を遣い
受け取ったメッセージが正常なものか
心の中で確かめています。

ぶれている時は、辛いですが
正しい事を祈れば、
必ず正しいアドバイスが受けられます。

石は、そういった神様と自己との
コミニュケーションのために神棚に置き
また、自分も身につけます。

エゴの強さがいつかは
減っていきますように。

人が間違っていたとしても、
人を尊重し、受け入れる心を育てることが出来ますように。

無くしたピアス

先日ダイヤモンドのピアスの片方を伊豆の温泉で無くしてしまいました。

主人に買ってもらって大切にしていた私のたった一つのピアスでした。

髪を洗った後にふと気づいた時には、キャッチしか残っておらず
必死に排水溝まで探しましたが、見つかりませんでした。

やはり外しておけば良かった。

もの凄い水流で、しかも大きな網の目の排水溝でした。

主人は、「また買ってあげるよ。」と慰めてくれましたが、
いつもあたたかく私を見守ってくれていたあの石に申し訳無く
また、折角買ってくれた主人にも申し訳無く
ただ、「執着するのは良くない。死んだら持って行けないのだから。
海の神様にお返ししたと思おう。」と
自分に言い聞かせて夜中悶々としていました。

ところが、目の前に見えるのは、真心こめて差し出された
お盆の上のダイヤモンドのヴィジョンです。

まさか。フロントで旅館の人に確認したのですが、
あの排水溝は直接浄化槽に流れ着くとのことで
探すのはかなり大がかりな工事となり、
探しようがないとのことでしたので。

ダイヤのヴィジョンは無理矢理消し去って
忘れることにしようと思いました。

二日目。

チェックアウト後に、子供達をプールで遊ばせている時に
旅館の方が、「榎本様いらっしゃいますか?」と
駆けつけて来られました。

「無くされたのは、こちらのピアスでしょうか?」

目の前には、チャック袋に入れられたポストの曲がった私のピアスが。

もう片方の耳には、残ったピアス。

あまりのうれしさに、その方の手を握りしめて何度もお礼を言いました。

きっと大変な思いで探して下さったに違いありません。

なんて迷惑な客でしょう。

そのお客に対して、この誠実さ。

本当に感激しました。

あの温かな手のヴィジョンは本当だったのだと
思い返しました。

人の温かさ、誠実さ、これによって
人は生かされているんだなあと
感激ひとしきりです。

ダイヤモンドもまた、誠実な波動の塊で
「帰ってきたよ、あなたのもとに。」と
輝いてくれました。

次からは、お風呂に入る時には、決してピアスは着けませんと
決心いたしました。

オクイボタの白い花

オクイボタの白い花が良い香りをさせています。

普段は目立たない、地味な木ですが
この季節には、森を良い香りで満たす
素晴らしい役割を果たしてくれています。

昔の話ですが、
このイボタの花を見せたくて、
シマリスのかごを窓際に置いたら
シジュウカラがやって来て
イボタの枝の上で鳴き始め、
リスも一緒に鳴いて合唱していたことを
思い出しました。

思い出に胸が一杯になり、
「素敵な思い出を有り難う。」

涙目で感謝を伝えると
突然涼しい風が窓から吹き込んで、
部屋一杯にイボタの香りで
満たしてくれました。

「喜んでもらえて、私も嬉しい。」というイボタの気持ちを
風が通訳してくれたようでした。

精一杯与えられた環境で生きて、
惜しみなく与えようとする
どこまでも豊かな心から
また、一つ教わったように思います。

与えられた役割を演じる

最近、立て続けに、家族の課題について
メッセージを受け取っています。

それぞれの課題は違いますが
共通して言えることは
「与えられた持ち場を守り、役割を演じきる」ことです。

おままごとにたとえるなら、お母さん役は、徹底して
私情やトラウマは抜きにして
正しくお母さんを演じる。

お母さん役になりきれていない部分はどこか、
謙虚に見直す。

良いお手本があれば、そこから学び
身につける。

一生学び、死ぬまで直し続ける。

それが大切と
繰り返し言われています。

肝に銘じたいと思います。

山の神様から

新緑のシャワーが気持ち良くて
最近週末はいつも裏山にハイキングに出かけます。

苔むしたケヤキや楓などから
「生き方のお手本」としてのメッセージを頂けるので
毎回、山は新鮮です。

昨日、途中で急に腰が痛くなり
何のメッセージかと耳を傾けると
山の神様でした。

叱られているようなので、よく聞いてみると

「登る人の心がけが清くなければ
山は汚れてしまう。

登っているのではなく、
登らせて頂くという謙虚な気持ちを
忘れずに、
清い心で一歩一歩を歩んでほしい。」

とのことでした。

しばらくすると、山中なのに
エンジン音がしてきました。

突然、4台のバイクが現れました。

ああ、このことだったのか。と思い、

「山の神様が怒っていましたよ。」

と最後の一台に向かって、独り言のように
魂には聞いてもらえるかもと、
祈るように
話しかけました。

禁止されていることは、
入り口にも書いてあるから
聞く耳を持たない人に
神様のメッセージを伝えるのは
難しい事です。

せめて私は気をつけようと思いつつも
帰り道は、山の神様の使いの精霊のお説教を
ずっと聞きつつ
家に帰ると、ぐったりでした。

精霊は、こう言っていました。

「人間は、一人で生きていると思っているけれど
取るに足りないように見える
周りの自然達に生かされている。

それに気がつかず、傲慢な態度を改めようとしない。

意識を変えることが大切。

謙虚な心。

自然を思いやるやさしい心。

目に見えないものに対する一体感。

そうった基本を人間は忘れている。

ほんのわずかな圧力を木の根元は感じている。

その上を通らせてもらうことに
何の感謝も、悪びれも無く
素通りする無礼を
ゆるしてもらい続けて
この地を汚していけば
いずれ災害が起こったとしても
それは人間のなした業によるものだ。

人間は、いつになったら気がつくのだろう。」

道すがら、頭がくらくらする4次元ポータルを通り、

亡くなった女性や狸の思いも受け取り

山の王国から

家に「無事」帰らせて頂けました。